日本で見かけるマカロンはフランスの一種類にすぎない

日本でマカロンといえば、ほぼ一つの形を指す。丸くてつるりとした薄い焼き色の生地が二枚、あいだにクリームやガナッシュを挟んで、ふちに「ピエ」と呼ばれるフリルが出ている。色はピンク、ミント、黄色。デパートの菓子売場でも街のパティスリーでも、この姿から大きく外れたものは滅多に出てこない。

ところがフランスに行くと、この形は数あるマカロンの一つでしかない。

挟んでいないマカロン

ロレーヌ地方のナンシーに、マカロン・ド・ナンシーがある。アーモンドと砂糖と卵白だけで焼いた、直径三センチほどの素朴な菓子だ。表面はひび割れていて、色はアーモンドと焼き色そのままのベージュ。クリームは挟まない。生地そのものを食べる。

同じように、ボルドー近郊のサン=テミリオン、北部のアミアン、ロワールのコルムリーにも、それぞれ土地の名を冠したマカロンがある。共通しているのは、アーモンド・砂糖・卵白という最小限の材料と、二枚合わせにしないという点。日本人が思い浮かべるマカロンより、素朴な焼き菓子に近い。

つまり歴史的に見れば、マカロンとは「アーモンド粉を使った焼き菓子」の総称に近く、あの二枚合わせのカラフルな菓子はその中の一系統ということになる。

二枚合わせはいつからか

ではあの形はいつ生まれたのか。よく語られるのは、パリのラデュレで二十世紀前半にピエール・デフォンテーヌがガナッシュを挟む形を考案した、という話だ。ただしこれは店の由来として伝えられているもので、厳密な初出として確定しているわけではない。似た試みが同時期に複数あった可能性も指摘されている。

はっきりしているのは、二枚合わせのマカロンが比較的新しいということ。地方マカロンが数百年の歴史を語るのに対し、こちらは百年前後の菓子だ。日本に入ってきたのは当然もっとあとで、広く知られるようになったのは二〇〇〇年代に入ってからになる。

イタリア起源説の扱い

マカロンの語源はイタリア語のマッケローネ、練った生地を指す言葉だとされる。ここから「カトリーヌ・ド・メディシスがフランスに持ち込んだ」という話が続くことが多い。この説は方々で目にするが、菓子史の側では裏付けが弱いとされる部類に入る。十六世紀の宮廷が持ち込んだと言うと話は通りがよくなるので、後世に整えられた物語という見方が強い。

修道院で作られていた、という話のほうが実際には根拠を追いやすい。ナンシーのマカロンも、革命期に修道院を出た修道女が作って売ったという逸話が残っている。こちらも伝承ではあるけれど、菓子と修道院の結びつき自体は各地に例がある。

何を食べているのか

こうして見ていくと、日本で「マカロン」と呼んでいるものは、フランス菓子の中のごく狭い一区画を指していることになる。しかもかなり新しい区画だ。

ブランドごとの違いを比べるにしても、まずこの前提を置いておくと見え方が変わってくる。同じ二枚合わせの中で、生地の厚み、ピエの出方、ガナッシュの水分量をどう設計するか。各ブランドが競っているのはその範囲での差だからだ。

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