パリのマカロンはいつから「あの形」になったのか

いま日本でマカロンと呼ばれているものは、丸いシェルを2枚合わせ、あいだにガナッシュやバタークリームを挟んだ菓子を指す。マカロン・パリジャンと呼ばれる形だ。

ただ、この形がフランス菓子の歴史のなかで古くからあったわけではない。ナンシーやサン=テミリオン、アミアンに残るマカロンは、いずれもシェル1枚だけの焼き菓子で、挟むという発想がない。地方に残ったものが素朴で、パリのものが洗練された、という単純な話でもない。別系統として並んでいたものが、ある時期にパリで一本化されたと考えるほうが実態に近い。

では、いつ、誰が一本化したのか。ここには定説として語られる名前がいくつかあり、資料によって年代も人物も食い違う。日本語で流通している説明の多くは、そのうちのひとつを断定的に書いている。

この記事では、その食い違いを整理する。

確認したいこと

  • ダブルシェルの形が記録に現れるのはいつか
  • 一本化を主導したとされる人物は誰で、その根拠は何か
  • 地方のマカロンはなぜ置き換えられずに残ったのか
  • 挟むという発想はマカロン独自のものか、同時代の他の菓子から来たものか

現時点で言えること

ラデュレとピエール・エルメという2つの名前が、日本ではマカロンの歴史とほぼ同義で語られている。ただ、この2つはどちらも比較的近い時代の話で、形が成立した時期そのものとは別の層にある。売り方と味の設計を変えた話と、形が生まれた話は分けたほうがいい。

このあたりは資料を突き合わせて書き直す。年号と人名が本によって一致しない部分は、一致しないまま書く。

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