マカロンはカトリーヌ・ド・メディシスがフィレンツェから持ち込んだ、という話は日本でもよく見かける。では、送り出した側とされるイタリアではどう語られているのか。イタリアの料理雑誌と、料理団体の会員が書いた文章を当たってみると、イタリアの中でも話は一つにそろっていなかった。
ヴェネツィアの話は800年ずれる
イタリア料理アカデミーの機関誌『Civiltà della Tavola』2013年2月号で、会員のGiancarlo Burriは、8世紀初めにヴェネツィアのいくつかの修道院がアーモンドと卵白と蜂蜜で同じような菓子を作っていたとする資料がある、と書いている。料理雑誌La Cucina Italianaの2019年の記事は、マカロンは16世紀のヴェネツィアで生まれて王家の結婚式に出された、という話を伝説として紹介している。同じヴェネツィア生まれでも、年代はおよそ800年離れている。
Burriの文章は、ムッシュー・アダムがルイ14世に献上した日付など、ほかの箇所にも年代の食い違いがある。ここでは、今も語られている説の一例として読んだ。
同じ雑誌の中で断定が留保に変わる
La Cucina Italianaは2019年1月、フランス料理とされる5品が実はフィレンツェ生まれだとする記事で、マカロンもフィレンツェを経由してフランスに入ったと書いている。言い切りである。
2024年11月のレシピ記事では書き方が変わる。カテリーナの料理人が伝えたという伝説はあるが公式に確かめられたことは一度もない、とし、今の形のマカロンはラデュレで生まれたとしている。ただし同じ段落の続きで、原始的なマカロンは16世紀、アンリ2世との結婚の際にカテリーナが持ち込んだと考えられている、と同じ話を伝聞の形で残している。5年のあいだに断定は留保に変わったが、話そのものは消えていない。
語源の説明も三つある
Burriは、語源として最も確かなのはイタリア方言のmaccaroneだとしている。アカデミー・フランセーズの辞書の第9版も、イタリア語のmaccaroneから来た語として載せている。La Cucina Italianaの2019年の記事はammaccare(つぶす)を挙げる。フランス観光の公式サイトFrance.frのイタリア語版は、amarettoとの関係で説明している。名前の由来の説明だけで、三通りに分かれている。
フィレンツェ市の記念事業で語られたこと
2019年、コジモ1世とカテリーナ・デ・メディチの生誕500年の記念事業がフィレンツェで開かれた。市の告知ページによると、10月27日にトゥール大学の歴史家Pascal Brioistが「Caterina de’ Medici e il mito della tavola(カテリーナ・デ・メディチと食卓の神話)」という講演を行っている。
告知文の要旨はこうだ。カテリーナと随行者がイタリア料理の洗練をフランスへ持ち込んだという考えは不正確で、史料を掘っても裏づけが見つからない。この神話は18〜19世紀、デュマの『料理大辞典』や『百科全書』などの文章によって形づくられた。
告知文にマカロンの名前は出てこない。挙がっているのはフォーク、アーティチョーク、ソルベなどである。ただ、マカロンのイタリア伝来説は、このカテリーナの神話の上に乗っている。伝説の主役の地元が、記念の年に、その土台を自分たちの催しで外していたことになる。
参考資料
Comune di Firenze(Portalegiovani)
Académie française
France.fr
いずれも2026年9月に原文を確認。


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